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船舶運航データ活用における
人間とAIの協業で
安全・効率運航を実現

2024.06.28
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データ活用で数歩先を行く

船舶運航の効率化をもって、足元の燃料油価格高騰に対応できないか。2002年から2008年夏ごろにかけて、世界的に高騰した原油価格は年率25%で上昇を続け、2008年7月には史上最高値を更新した。重油を燃料として船舶を運航する海運会社は厳しい事業環境への対応を迫られる状況にあった。日本郵船(株)はグループ会社である(株)MTIの協力の下、データの可視化による燃料節約運航を目的とし、船舶の位置や船速、燃費などのデータを収集するシステム「Ship Information Management System(以下、SIMS)」を開発。2008年からSIMSで収集したデータを衛星通信で陸側にも共有し、船と陸とで連携しながら、燃節運航に取り組み始めた。約6年間でコンテナ船など50隻以上に搭載し、約10%の燃料費削減を達成、数千億円規模の運航コスト削減効果をもたらした。2014年にはエンジン系のデータも収集可能な後援システム「SIMS2」の搭載を開始し、これまでに約200隻に搭載。「SIMS2」の活用によって、データ収集装置による効率的な船舶データの収集と船陸間での共有が可能となった。また、エンジントラブルの早期発見や予防保全、安全運航を支援するアプリケーションも開発した。

「世界中の海運会社・船舶管理会社に話を聞きに行きましたが、航海系データのモニタリングは各社も取り組んでいます。しかし、私たちのように船会社ながら、エンジン系のデータまで収集・分析している会社は見当たりません。その意味で、当社はとても先進的な取り組みをしている企業です」。日本郵船の海務グループでビッグデータ活用チームをけん引するグループ長代理の山田は、自社のユニークさをこう強調する。

大型船舶には、航海中の船の位置、方角、速度などのデータを集める航海データ記録装置や、船を動かす機関部から温度、圧力、流量などのデータを集める装置などが搭載されている。現在搭載中のSIMS3では1隻当たり1,000~2,000点以上のデータを収集し、通信衛星を経由して1分ごとに陸上へ伝送している。自身も機関長としての豊富な経験を持つ山田は、「データを活用する上で重要なことは、データを収集・加工する技術はもちろんですが、それ以上に、そのデータが何を示しているのか判断できる現場感覚です。例えば、排ガスの温度の変化を見て、マニュアル通りの判断では正常の範囲とされる場合でも、実は何らかの機関故障につながる予兆であるケースがあります。この判断には、やはり現場経験と豊富な知識が必要です」と話す。現場力を蓄えた船乗りと、海運業における長い歴史の中で蓄積した知見やデータを数多く有する日本郵船グループだからこそ、データの収集でも活用でも、他を一歩リードする。実際、データの活用で培った知見を活かし、2018年に国際標準規格であるISO19847(船用データサーバ機能要件)とISO19848(船用データの名称標準)の2つの規格化に寄与した。国際標準化活動を通じ、海事業界におけるデータ活用のルール作りや環境の整備にも貢献している。

日本郵船グループはデータ活用の歩みを止めることなく、技術を更新し続けている。2020年からは第三世代の「SIMS3」にアップグレードし、2021年から自社運航船舶への搭載を進めている。SIMS3の搭載隻数はSIMSを搭載する200隻以上の船舶のうち、2024年5月末時点で96隻に上る。詳細な船上データを船と陸の間で高頻度に素早く共有できるようになり、船舶機器のトラブルの早期発見や初期異常検知の瞬時性が向上した。細かい状況の把握も可能となり、対応の精度もさらに改善している。「SIMS3」により、年間約300億円の燃料費削減を見込むほか、収集した詳細なデータと活用の知見を活かし、より安全で効率の良い船舶や機器の設計・製造にも寄与している。

燃料節約から安全運航へと活用範囲が広がった転換点

船陸間の通信速度は陸上の速度から10年遅れていると言われる。ほんの数年前まで船上ではストリーミングでの動画の視聴はおろか、インターネットにも接続しづらい環境だった。現在は衛星通信を用いた通信サービスの普及により、最大220Mbpsの通信が可能となり、船上でのインターネット通信も陸上とほぼ変わらない速度・品質となっている。通信速度の高速化により、日本郵船グループにおけるデータ活用の取り組みも進化した。「SIMS」から「SIMS2」にバージョンアップした際、扱えるデータの種類が増えたことに加え、データの送信間隔も短縮したことでよりタイムリーで緻密なデータの取得を実現。大量のデータは運航トラブルにつながる予兆の可視化に活かされることになった。これにより、燃料節約活動として始まったデータ活用は、安全運航を支える取り組みとして活用範囲を広げた。

山田は当時をこう振り返る。「『SIMS2』を導入するまでは、運航時に異常を見つけるのも対応するのも船の上の乗組員だけという状況でした。それが陸上からも同じ情報に基づいて対応をサポートできるようになった。それが『SIMS2』の最大のメリットです。多くの目で船舶の状態を見ることができるようになり、当社の安全管理レベルは間違いなく上がったと思います」。

一方、せっかくデータを1分間隔で取得しても、SIMSを搭載する200隻以上の船を、人間が24時間絶え間なく監視することは現実的ではない。そこで、運航中の船舶の異常を各種センサーのデータから検知するAIによる機械学習モデルの開発が始まった。日本郵船の研究開発子会社であるMTIで船舶物流技術グループ船舶物流IoTチームのユニット長を務めるハンガは、異常検知のロジック構築における苦労をこう語る。「例えば排ガス温度の異常を検知するだけならシンプルですが、日本郵船グループの場合は、航海系からエンジン系まであらゆるセンサーから得られるデータを組み合わせて異常を判断するため、ロジックも複雑になります。100%の正しい答えが出ないことも事実で、システムの運用を開始した時点ではその正確性は約50%でした。そこから徹底的に改良を重ね、今では98%という高い精度を達成しています。データの変化を検知するだけなら、学習させたAIで可能です。問題は、その変化が異常かどうか、その異常が何を意味するのか理解する点です。その点を考慮したロジックを何か月もかけて作り上げました。試作したロジックや手法は2,000点に上ります」。

そこまで作り込んだシステムでも、AIによる異常検知の結果は完璧ではない。そこで、乗船経験や専門知識を持ったエキスパート(機関士など)が精査する仕組みを作った。その仕組みの軸となるのが、2020年にフィリピンに設立したRemote Diagnostic Center(以下、RDC)だ。AIは各種センサーから得られたデータの変動の仕方(振る舞い)を監視し、その異常をスコア化。あらかじめ設定した水準を超えたらRDCに通知され、エキスパートが分析。AIの誤検知を排除し、本当に異常疑いのあるものを選別した上で本船および管理会社に通知し、対応結果がRDCにフィードバックされる。この一連のサイクルで、異常検知はエキスパートや現場からのフィードバックによる学習を重ねることで改良を続け、精度を高めている。

「SIMSで得られるデータに加え、エキスパートのコメントは機械学習において大変価値のあるデータです。あるエンジンメーカーの担当者も、私たちが持つ豊富なデータに驚いていました。現在の収集データ点数は1,000~2,000点ですが、将来的には1万点ほどになる見込みです。収集できるデータ点数が増えればより細かな状態の把握につなげられるため、異常検知だけでなく、異常『予測』も可能になるかもしれません」とハンガは語る。さらなる進化に向けて、挑戦を続ける。

自律運航を見据え、さらに進化する

異常検知システムは将来導入を計画する自律運航船にも欠かせない技術だ。より少ない人数での安全で安定した自律運航では、陸からの異常発見が一層重要となる。RDCが掲げるロードマップでも、自律運航船の運航センターとしての役割が将来像として示されている。その将来像に向け、今もさまざまな施策が進行中だ。

「SIMS2」から「SIMS3」への換装は、週に1隻のペースで進んでいる。また従来のデータに加え、次世代燃料を用いるエンジンや運搬する貨物そのもののデータを取り込むテストも重ねている。日本郵船グループでは、LNG燃料船やアンモニア燃料船など、次世代燃料船の竣工が相次ぐ。次世代燃料船は従来の重油焚きとは異なり、エンジンの仕組みが複雑なため追加でセンサーを搭載する必要がある。陸上では次世代燃料船特有のデータを表示するためにアプリケーションを刷新した。例えばLNGを輸送する船は、輸送中に蒸発してしまうLNGを燃料として使うが、どのくらい蒸発しているのかといったデータも取得できる。

「データの質には2種類あります。データが時間通りに欠損なく届くという正確性と、取得が困難もしくは費用が掛かる有用なデータが得られるという貴重性です。正確性はかなり仕上がってきましたので、今後は貴重性をさらに高めていきたいと考えています。2024年度中には新たなセンサーを船舶に取り付ける計画が進んでいます」と山田は説明する。ハンガも「これほどたくさんの活きたデータが毎日集まる職場はほかに見当たりません。気づけば目下、15以上のプロジェクトに携わっていますが、研究者の私にとって非常にやりがいがあります。また、研究開発費は助成金ではなく会社の利益で賄われます。現場の方々の努力のおかげと考えれば、何としても現場の方々にとって有用なシステムを構築したいというのも私のモチベーションの一つです」と語る。

「2008年当時、データの取得・活用について賛同する方はまだまだ少数派でした。それでも、どんなメリットがあるのか繰り返し展望を説明し、導入先を増やしてきたことで、今では当たり前のように収集・活用されています。データはこれからの時代における企業価値の源泉であり、データを活かすことが会社の利益になると確信しています。人材育成は待ったなしです。デジタルネイティブの若者に、当社を魅力的な企業として見てもらえたらとも思っています。付加価値を生み出すメカニズムは変わってきています。全体最適の追求に向け、必要なデータ、解析技術、インフラを整え、船会社だけでなく、機器メーカーや大学など各関係者との連携がますます重要となります」。このように話す山田の視点は高く、視野は広い。

日本郵船グループが業界に先駆けて取り組む船舶データ活用。得られた知見やシステムの外販も進む。運航技術にさらに磨きをかける日本郵船グループの今後に期待したい。

インタビュー 2024年4月3日

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