核となる安全運航
安全運航は、日本郵船グループの創業から変わらぬ事業継続の根幹だ。乗組員や船の安全を守ることは、安定したサービスの提供につながるだけでなく、美しい海を次世代につなぐ環境保護の観点からも、必要不可欠な要素だ。
その安全運航を成し遂げることは、人を育てるところから始まる。時代によって変化する海運事業のさまざまな状況やニーズに対応するために、専用船化が進みオペレーションが複雑化しても、安全運航という一貫した目的の下、船員教育を拡充してきた。運ぶものや使う道具が変わろうとも、品質を担保し、お客さまのもとへ安定して荷物を届けることは不変のミッションであり、それは安全運航を支える現場の人材なくして実現できない。
持続的な学びの機会を
海務グループ調整チームは、NYK統一要求に基づく船員およびキャデット教育・研修方針の決定機関「NYK MARITIME EDUCATION TECHNICAL COMMITTEE(N-MEC)」の事務局として、安全運航の知見やノウハウを船員に定着させるための施策を取りまとめている。
自身も長年海上勤務に就いてきたチーム長の増冨は、船員に求められる専門性について、「広大な海の上で大型船舶を動かし、人や荷物を港から港へ安全に輸送するには、航海上の気象・海象や地理的環境、各国の法律や情勢を理解した上での判断や、船の種類により異なる操船・荷役手法、大型エンジンをはじめとする機関プラントのメンテナンス技術など、高い専門性を求められる業務が多岐にわたり存在しています」と説明する。また、「安全運航にはこの専門性を伴う業務を乗組員一人ひとりが当たり前に行うことが不可欠です。当たり前に行う、と口にすることは簡単ですが、実際にできるようになるには多くの時間と経験を要します。研修では、船員に必要な基礎的知識や実務に近い研修を行うことで、船員の学びをサポートしています」と続ける。安全運航の維持には、持続的な学びが不可欠なのだ。
日本郵船(株)は長い歴史の中、ある変化を受けて船員教育システムの変革を求められた。増冨は、「日本人船員のみでの運航を続けてきた日本郵船の配乗体制は、1980年以降、徐々に進む円高の影響を受け日本人以外の船員配乗へと変化していきます。さらに1985年のプラザ合意※1による急激な円高とコスト意識の変化を機に、その体制へのシフトは一気に加速します。生まれ育った国の文化や慣習などバックグラウンドも言語も異なる多国籍な船員が、同じ日本郵船グループの船に乗り、運航を担うことになりました」と、その変化について説明する。「これによりそれまで以上に、乗組員同士が同じ方向を向き、安全運航の共通認識を持つための仕組み作りが必要になりました」と続ける。現在の船員教育プログラムである「NYKマリタイムカレッジ」の構想は、ここから始まった。
NYKマリタイムカレッジ(以下、マリタイムカレッジ)の特徴は、日本郵船グループ独自に設定した「安全運航のための統一要求事項」に基づき、船員の国籍にかかわらず、どの研修地であっても、同じ研修カリキュラム、同じ教科書、同じ教え方で、教育の機会を提供していることだ。研修地はシンガポールとフィリピンを主な拠点とし、日本、ルーマニア、クロアチア、インド、インドネシアの世界7カ国で展開するほか、場所を問わずアクセス可能なeラーニングのシステムも構築する。
現在は年間を通して100前後の講座があり、海技免状取得後の三等航海士、三等機関士から、船長、機関長、さらにはその指揮下にある部員に至るまで、それぞれの職位で必要な知識・技能を明確化し、船員を育成している。この研修内容・体制の充実度は、海運会社の中でトップクラスの人材育成制度である。
マリタイムカレッジの運営は、日本郵船の完全子会社であり、船舶管理会社として船や乗組員の管理サービスを行うNYK SHIPMANAGEMENT PTE LTDが担う。同社ジェネラルマネージャーで自身も船長であり、シンガポールの研修所で所長も務める森は、マリタイムカレッジについて「基礎的な内容を学ぶ全船員共通の必須コースと、任意で受講する選択コースがあります」と説明する。選択コースでは、船員が次に乗る船のエンジン研修や荷物を取り扱う荷役研修、次世代燃料に関する研修をはじめ、操船シミュレーターでの研修など、各船員のキャリアやスキルに応じて選択可能な、多くのニーズに対応する研修が用意されている。
国境を超えたカレッジであるために
現在、日本郵船グループの運航船は9割以上が外国人船員で構成される。「世界中の船員へ、場所にとらわれず同水準の研修環境を提供すべく、さまざまな工夫を凝らしています」と森は話す。
数多くの研修プログラムをグローバルに均一展開することは、一筋縄ではいかない。学習環境や言語、基礎教育機会の異なる各国の船員たちに同水準の習熟度を達成してもらうためには、各地域の現状と向き合い、世界共通で理解されやすいプログラムを作成する必要がある。
また研修の開催にあたっては、学び以外にも、船員の出身国の慣習などに応じて数多くの調整が発生する。森は、「研修では受講者の国籍が多岐にわたるため、宿泊施設や食事など、研修本体以外の環境にも、注意を払います。船員たちのルーツを尊重し、研修に集中できる環境を整えるため、事前のヒアリングや準備を行います」と述べた。
すべての船員が満足した学びを得られるよう、日々努めている。
先人の教訓を、学びとして体系化する
マリタイムカレッジで行われる研修プログラムは、新設や改善を繰り返しながら進化し続けている。
航海士として長く海上勤務を経験してきた海務グループ調整チームの増山は、「チームに着任して、日本郵船グループの研修制度が充実していることに改めて気付かされました。研修の一つひとつをひも解いていくと、先人たちの安全運航に対する思いが見えてきます」と、着任後の印象を振り返る。
長い歴史の中で構築されてきた研修プログラムには、先人たちが経験してきた事故やトラブルも活かされている。増山は続けて、「チームでは、今後の研修テーマや学びたい事例など、研修をより充実させるためのヒアリングを定期的に行っています。その中で数多く届く要望は、過去に発生した事故やトラブルへの対応です」と言う。
森は、「過去事例からの学びは非常に重要です。安全に運航できる『今』は、先人たちが得た経験や教訓にも支えられています。蓄積された事例をもとに考え込まれ、作り込まれた研修を繰り返し受講することで、先人たちが残した経験や教訓を継承しています。それが、海上でのビジネス、ひいては船員たちを含めた多くのステークホルダーの安全を確実なものにしています」と力強く語る。
研修の効果は、簡単に数字で表せるものではない。増冨は、「安全運航にどれだけの効果をもたらしているのか、定量的に測ることは難しく、定性的な話になります。研修にどのようなメリットがあり、安全につながっているのか。それを各方面に丁寧に説明し、予算をつけて導入し、継続していくことが当チームの使命です」と話す。研修構築や継続もまた、先人たちから受け継がれた思いが結実した取り組みなのだ。
続けることで、形を成すもの
マリタイムカレッジが提供する船員教育プログラムの一番のテーマは、安全運航だ。
増冨は、「地道な研修を経て、安全は確かな形を成してくるものだと思います。安全の実現に近道は存在しません。研修もまた同じだと考えています。最初から完璧な研修は存在せず、肝心要の内容は担当者間で幾度も話し合い、ブラッシュアップを重ねていくものです。そして日本郵船グループには、この仕組みを全社的に支える運営体制があります。これは社員として私自身誇りに思う部分でもあり、受講する現場のみなさんにもそれを感じていただけるものにしたいです」と、自らが担う船員教育のさらなる発展を誓う。
シンガポールの研修所で受講生たちと間近で接する森は、「私は受講生たちに必ず言う言葉があります。それは『人生は一生勉強』です。船を操るという特殊な仕事は必要とされる知識が非常に多く、社会のインフラを担う者として、常に向上、進化するための努力が必要です。 現場の安全を守る彼らをサポートするため、われわれも日々勉強を続けながら、より良い研修を提供していきます」と力強く語る。
海務グループ調整チームでは、これからも先人たちから受け継いだ知見を活かし、日本郵船グループの船舶運航に携わるすべての船員に学びの機会を提供していく。そして、船員らが海上で得た学びもまた、安全運航の礎となっていく。「一生勉強」という言葉の通り、船員教育プログラムも成長を続け、これからも船員たちの自信と、海上の安全を支えていく。
インタビュー 2023年10月24日
- ※1 プラザ合意
1985年9月22日に、先進5カ国(アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)の財務大臣・中央銀行総裁会議により発表された、主に日本の対米貿易黒字削減への合意の通称