前進し続けるESG経営
今から約2年前のこと、日本郵船(株)が国内で先駆けて行ったファイナンス手法は、GHG(温室効果ガス)高排出セクターに新しい風を吹かせた。2021年7月、日本郵船はトランジションボンドを発行した。脱炭素への取り組みを計画的に加速させるには莫大な投資が必要となる。いかにステークホルダーの理解を得ながら、海運事業におけるサステナビリティを実現するのか。資金調達を支える財務グループの業務にも新たな挑戦が求められていた。
トランジションボンドについて財務グループ財務統轄チーム長の柳瀬は、「脱炭素社会の実現に向けた各企業の長期的な戦略に基づき、着実なGHG排出削減の取り組みを行う企業の支援を目的とした新しいファイナンス手法です」と説明する。
トランジションボンドを発行する以前、日本郵船は脱炭素に資する投資を目的としたファイナンスであるグリーンボンドを発行している。柳瀬は、「グリーンボンドを発行したのが2018年のことです。グリーンボンドでは、調達した資金がそのまま環境に配慮した設備投資に使われていました。その後、制度が変わりトランジション・ファイナンスが登場しました」と振り返る。
トランジションボンドは、2021年2月に「NYKグループESGストーリー」を発表し、脱炭素への取り組みを大きくアピールした日本郵船に合致したファイナンス手法であった。
本邦初トランジションボンド発行への道のり
前例のないトランジションボンドの起債には、何から手をつければ良いのか誰もわからない状況であった。
「こうした壁を打破できたのは、日本郵船グループに何事にも全社的に取り組むという姿勢があったからこそです。このプロジェクトには多くの部署の協力が不可欠で、各部署とも業務が多忙である中、非常に協力的であったと聞いています。また、財務グループのみならず、全社的にESG経営を推進しようとする強い意志があったことも要因の一つであったと思います」とチームメンバーの長井は語る。
長井は第1回トランジションボンドを発行した当時、その資金の充当先であるエネルギー事業本部に在籍していた。財務グループに異動する前からトランジションボンドという革新的なファイナンスには注目していたが、着任して当時の話を聞く中で、とてもハードルの高いプロジェクトであったことを知ったと言う。
当時の担当者は手探りの状況で関係者とゼロから検討を始め、まず「グリーン/トランジションボンド・フレームワーク」を策定した。このフレームワークにより、目標の明確化、資金使途の透明性の確保、そしてレポーティングによる情報開示といった債券発行までの道のりが具体化され、トランジションボンド発行に大きく近づくことができた。
苦労は他にもあった。「当時は“トランジション”という概念が全く浸透していませんでした。起債にあたって投資家からは、既にグリーンボンドが発行されている中でトランジションボンドに切り替えるのは、ESGの観点から後退しているのではないか、という厳しいお言葉をいただくなど、概念の浸透にかなり苦労したようです」と長井は話す。
柳瀬も「投資家にとっては、単に日本郵船グループの発行する社債としか認識されず、トランジションボンドの本来の意図をあまり評価していただけていないような反応もありました」と振り返る。発行前には期待と、思いが伝わり切らない歯がゆさがあった。
しかし地道なデットIR※のかいもあり、徐々に投資家の理解が深まっていった。「脱炭素社会の実現は決して一足飛びで解決するような問題ではなく、トランジションという概念は関係省庁も幅広く認定しているものであるため、中長期的なタイムラインの中で、地道に脱炭素を図っていくべきだ」とESGストーリーを交えながら説明したという。
この時、デットIRを担当した柳瀬は「デットIRでは3日間にわたり金融機関や投資家と面談を繰り返すことになります。財務グループのメンバーは本業なので当然出席しますが、IRグループや環境グループ(現脱炭素グループ)など、他部署のメンバーにもスケジュールが立て込んでいる中で全日同席してもらいました。正直、財務グループのメンバーが話している時間より他部署のメンバーが話している時間の方が長いこともありました。かなりの負担だったと思いますが、快く引き受けてもらえたことに本当に感謝しています」と語る。
この活動が功を奏し、ふたを開けてみると予想を大きく超える応募が集まった。これは日本郵船グループが新しいファイナンス手法を取り入れたことで、確かなESG評価を受けたと証明された瞬間であった。
深まるESGファイナンスへの理解
第1回トランジションボンドの発行を終え、「不安」や「未知」といった投資家からの半信半疑な反応は、「期待」と「確信」に変わった。脱炭素への取り組みだけでなく、日本郵船グループとして掲げたESG経営の推進、そしてトランジションの概念に充分な理解を得られ、2023年7月に第2回トランジションボンドの発行に踏み切った。
長井は「投資家もESGファイナンス、とりわけトランジション・ファイナンスへの見識や理解がかなり深まってきていると感じました。事実、第2回トランジションボンドに関しては、何らかのESGに配慮した社債でなければ、もう投資しませんと明確に表明されている投資家もいらっしゃいました」と振り返る。柳瀬は「第2回のトランジションボンド発行時はマーケットの環境があまり良くない中で、トランジションボンドにしたことによって、中長期で取り組んでいく脱炭素戦略、ひいてはESG経営との密接な関連を示すことができた点が大きな強みになったと思います、その結果、多くの応募が集まりました」と述べる。
第2回のトランジションボンド発行は、社会から環境投資が一層支持されていること、また全社的な戦略が社会の動向と合致することの実感につながった。
今後のファイナンスへの期待と新たなるチャレンジ
財務グループでは脱炭素戦略の取り組みを継続できるよう、引き続き資金調達を行っていく。長井は「財務グループはさまざまな事業部の資金を調達するため、相互に関係し合い、時にはチームを超えたシナジーを発揮することが求められます。トランジションボンドの取り組み姿勢が良い例であったように、財務グループを起点に社内全体でESG経営を深化させられるよう連携を図っていきたいです」と力強く語る。柳瀬も「その時々で当社の事業に最適なファイナンスを考えることが我々の仕事であると考えています。必ずしもトランジション・ファイナンスを約束するわけではないのですが、ESG経営に基づいたファイナンスは世の中の流れであり、投資家からも求められていると感じます」と話す。
ESG経営において、攻めの姿勢を続けていく日本郵船グループ。トランジションボンドの発行がそうであったように、たとえそれが前例のないものであったとしても、全社を巻き込む横断的な結束力と革新的な価値創造で道を切り拓いていくだろう。
インタビュー 2023年9月5日
- ※デットIR
Debt IR。発行予定の社債について社債投資家向けに説明する活動のこと