森林再生と海洋環境保全
2023年6月、静岡県御殿場市に広がる森の一角で、厳かに式典が執り行われた。伐採の儀、鋸引(のこひ)の儀、斧入(よきい)れの儀と進められた儀式は、森の木に宿る木霊(こだま)を鎮めるためのものだ。この日、多くの関係者に見守られる中で日本郵船(株)が整備を手掛ける「ゆうのもり」プロジェクトが始動した。約50年の間、手入れが行き届いていなかったスギ・ヒノキなどの針葉樹が中心の人工林を、日本郵船グループの社員が地域とともに、多種多様な植生の森に再生する長期プロジェクトだ。「ゆうのもり」という名称は日本郵船の「郵」や、「友」、「You」にちなみ、グループ社員の一人ひとりが当事者意識を持ち、さまざまな関係者と協力して活動する場となる願いを込めて命名された。
日本郵船が森づくりに取り組む意義とは何か。「今まで海を舞台にビジネスをしてきた当社が、どうしたら海に恩返しができるか、という問いが出発点でした」と森林プロジェクトマネージャーの間庭は言う。前社長の長澤が、海洋関係の社会貢献活動は数多くある中で、陸上での活動の少なさに気づいたことがきっかけだった。「海をきれいにするのは川。川をきれいにするのは山。だからこそ、森づくりによって川上を整備していこうという結論に至りました」と間庭は説明する。森林を回復することで水源涵養機能が強化されれば、海洋環境の保全につながるからだ。
また、日本郵船グループ社員が森林整備ボランティアを通じて環境・社会課題に向き合う意識の向上や、一体感を醸成していくことも目的の一つだ。
「ゆうのもり」が誕生するまで
プロジェクトを率いる間庭は1985年に日本郵船に入社。パートナーを務めるのは、同じ年に郵船航空サービス(株)(現、郵船ロジスティクス(株))に入社した興田だ。日本郵船グループの同期2人が、定年後にタッグを組む。
2021年の正月、間庭は当時の社長である長澤から一本の電話を受けた。「森林整備に取り組んでもらえないだろうか?」突然の提案に驚いた間庭だが、当時偶然にもサバイバルキャンプを趣味として始めており、森林への関心はあった。数日間の熟考の末、「ぜひ、やらせてください」と長澤に返事をした。後に、プロジェクトは「NYKグループサステナビリティ イニシアティブ」案件として社内プロセスを経て承認され、間庭は担当部署である ESG経営グループ サステナビリティ イニシアティブチームのメンバーとなった。
同じ頃、興田は郵船ロジスティクスを定年で退職。すでに再就職していたが、間庭とはよく近況を報告し合っていた。パートナーが決まらず孤軍奮闘する間庭をしばらく見守っていた興田だが、ついに「俺がやろうか?」と声をかけ、2022年にプロジェクトに加わった。
今では日本の森林課題について力説する間庭だが、当初は詳しく知らず、森林についてどのように学ぶのがよいか悩んだという。社内には林業に詳しい者がいるはずもなく、途方に暮れる中、アドバイスをくれたのは息子だった。「親父、これがいいよ」と勧められた森林インストラクターの資格は、「森林」「林業」「森林内の野外活動」「安全及び教育」と科目のバランスが良いことから、取得を目標に定めた。「紹介された時から勉強を始めたものの、これがまた難しい。頑張ってこの資格を取りたい」と間庭は言う。また「ゆうのもり」の準備にあたり、林業コンサルタントなど専門家とともに仕事をすることで、実地でもさまざまな知識が身に付いてきた。
「ゆうのもり」の準備は、決して順風満帆とは言えないものだった。立ちはだかる壁の一つが許認可申請だ。これまで従事してきた国際海運業と比べ、「ゆうのもり」に関わる申請手続きの性質は大きく異なる。関連法令の調査や関係官庁との交渉をはじめ、条例の改正という予想外の出来事もあり、許認可の申請手続きには長い時間を費やした。用地取得のための、地権者との交渉の場では営業経験豊富な興田が活躍する。「営業職は、お客さまの下に飛び込みで行くこともあります。当時は、断られてもどうしたら発注していただけるのかと考えながら仕事をしていました。そんな過去の経験が役立ちましたね」と朗らかに語る興田の努力が功を奏した。こうして1年以上にわたる準備期間の末、ついに約4.6ヘクタールの面積を有する「ゆうのもり」が誕生した。
日本の森林が抱える課題
日本は国土の約7割を森林が占めており、世界屈指の森林率を誇る。国内の森林の約4割にあたる約1,000万ヘクタール※1が人工林だ。東京都の面積が約22万ヘクタールであることを考えると、その広大さがわかる。この人工林の一部が長年放置されたままとなった結果、生態系の乱れなど数々の環境問題を引き起こしている。
そのような放置人工林の課題を解決するべく、「ゆうのもり」はサステナブルで安定した極相林※2を目指す。「人口林でも放置すれば数百年で極相林となります。溶岩が流れて形成された裸地などでも同様です。しかし、人間が手を加えれば短期間であるべき森の姿にすることができます。これをグループ社員が中心となって、この先100年かけて実現していくことが本プロジェクトのビジョンです」と間庭は言う。
また日本では古来、農村の周辺に里山を形成してきた歴史がある。「生活様式に合わせて人々は森に手を加え、燃料としてだけでなく防風や日照のための木の選び方や植え方など、自然と共生する知恵を受け継いできました。しかし、近代化に伴って里山と知恵の継承が急速に失われてしまいました」と間庭は語る。
「ゆうのもり」では、里山も意識した整備を計画している。「里山(環境教育)エリアと、生態系保全エリアに分けて整備します。前者は古来の里山に倣い、柿などの木を植え、地下水をくみ上げてビオトープをつくり、ホタルが見られる里山にしたいと考えています。後者は学術的な裏付けのある再生を目指し、さまざまな動植物が集うようになった結果として、食物連鎖が機能していることを示すフクロウが生息する森を目指します」と間庭は説明する。
「ゆうのもり」が目指す未来
他の企業でも森林整備の事例はあるが、「ゆうのもり」の特色はグループ社員自らの手で森を育て上げようとしている点だ。「一度きりのボランティア活動にとどまらない、何度でも来たくなるような一歩進んだ体験にしたい」と間庭は将来に向け、ツリーハウスの建築や木育ワークショップの開催をはじめ、さまざまなアイデアを構想しているところだ。
また、御殿場市との取り組みも視野に入れる。2022年4月、日本郵船は同市と「森林整備による地方創生に関する連携協定」を締結。将来的には地元の小学生に向けた環境教育プログラムも計画しており、グループ社員、そして地域住民と一体となった森づくりを目指す。
「長い期間にわたり、森づくりを継続することが最も大切です。1回参加しただけで終わらせないことを意識し、グループ社員全員が繰り返し参加しやすい仕組みを考えていきます」と興田は言う。このプロジェクトを日本郵船グループ全体で盛り上げようとする興田の志は高い。間庭も「グループ社員はもちろん、究極的には社内外のさまざまなステークホルダーの皆さまに来ていただきたいです。森を整備する際に、なぜこの作業が必要なのか、それに対して何が起こるのかと考えることで、仕事や生活につながる気付きが必ずあります」と力説する。
グループ社員と地域が一つになり、森林課題と向き合うことで、さまざまな発見が見出される。その過程が、人と自然、人と社会の関わり方を教え、未来を拓く力になることだろう。
インタビュー 2023年6月9日
- ※1 森林に関する面積
林野庁ウェブサイト 都道府県別森林率・人工林率より - ※2 極相林
ある立地環境において、長期にわたり形成されてきた、群落の発達段階の終わりの方の段階 で、多かれ少なかれ安定した植物群落で形成された林のこと - 林野庁ウェブサイト 用語解説より一部改変引用