社員の想いを、目に見える形に
日本郵船(株)自動車船グループアジア・大洋州チームの檜垣は、入社3年目の2024年5月、インドの地に赴いた。その目的は、インド発の貨物についてグループ会社のNYK INDIA PVT. LTD.と協議すること、そして、2023年度の「Shipping AID」で積み立てた寄付金約1万米ドル分の支援品贈呈式に出席することだった。
「Shipping AID」とは、日本郵船の自動車事業本部が独自に取り組むESG活動で、特定の航路において自動車1台を輸送するごとに一定の金額を寄付する取り組みである。寄付は、その航路に関連する国・地域で社会課題解決に取り組む団体を通じて行われる。2021年度に発案されたこの取り組みは、2022年度には仕組み化され、2023年度にはインド、2024年度にはインドとアルゼンチンにて、前年度分の寄付金で購入した物品の贈呈式が行われた。
なぜ自動車事業本部で、このような独自のESG活動が始まったのか。自動車船グループ欧州チーム長の城山は次のように説明する。「Shipping AIDは2021年に自動車事業本部のESG Navigator※が企画・実施したアイデアコンペから生まれました。ESG活動につながるアイデアを広く募集するこのコンペに応募した中尾圭吾さん(現在は海外グループ会社に出向中)は、自分の仕事がどう社会貢献につながっているのか実感しづらいことを課題と感じていて、実際に自分たちが物を運ぶことで輸送地域の人々に貢献しているということを、寄付という形で目に見えるものにできないかと考えたようです」。
社会的なインフラの側面がある物流企業が地域に利益を還元できるこのアイデアは、役員を含め本部メンバーから多くの賛同を集めて採択された。その後間もなく、発案者の中尾を中心にESG Navigatorら有志が集まり、多くの仲間の協力を得て、実現へと歩みを進める。
城山はスタート時期について、「お金をただ集めて寄付するのではなく、どのような形で誰に何を寄付するのか、コンセプトづくりから始めました。具体的な作業の部分では現地のスタッフと協力しながら、支援団体の選定や寄付金の活用方法など、細かく検討を重ねました」と振り返る。
寄付を届け、想いをつなぐ仕組み
中尾ら初代事務局メンバーは、通常業務の傍らでShipping AIDの活動体制を整え、アイデアコンペの翌年には寄付を実現させた。現在、事務局はShipping AIDの想いに共鳴したメンバーに引き継がれ、「現地とのやりとり」「契約管理」「広報」の3つの役割を分担。城山をリーダーに、ESG Navigatorとして新たに着任した檜垣、自動車輸送品質グループ船舶品質チームの有山らが事務局を担っている。
主に現地とのやりとりを担当する檜垣は航路の選定について、「初年度となる2022年度は、当社の拠点があるインドで取り組みを開始しました。右肩上がりに成長を続けるインドでは、自動車の輸送台数も伸び続けています。しかし急速な経済成長の陰で、いまだ多くの人が貧困状態にあるという社会課題も抱えています。輸送地域への恩返しという意味でも、インドを第1候補として選定しました」と説明する。続けて、「前任者が契約書づくりなどの骨子は整えてくださっていたので、私はその形を踏襲して、2回目のインドの寄付、アルゼンチンの寄付を進めました。ただ前例があってもなお、現地団体とのやりとりには時差がある上、なかなか想定通りの回答がこないなど、かなり難しいポイントがありました」と話す。
インドでの贈呈式の報告書に、檜垣はこう記している。
「非常に私事で恐縮ながら、学生時代に同様な状況に面しているフィリピンのコミュニティを訪れ、生活水準の向上に関わるプロジェクトに取り組んで以来、何らかの形で社会を支えられる仕事をできないかと思い、インフラ・物流企業を志して当社に入社しました。Shipping AID はまさに当時の想いを思い出し、日々夢中で準備を進められる、また、現地の支援団体やコミュニティの方々から沢山の笑顔を頂き私自身がむしろ勇気付けられる、そのような非常に貴重な機会となりました。一個人としても、発案者の中尾さんのように日頃の業務を活かして何か社会に還元する術はないかと考えながら、今回実際に目にしたことや人々の様子に想いを馳せながら、誠実に今後も業務に取り組んでいきます」。
発起人の想いが形となったShipping AIDは、寄付を届けるだけでなく、関わる社員や関係者にさまざまな経験と想いをつなぐ仕組みにもなっていた。
共感を得て発展していく
2023年度、2年目を迎えたShipping AIDはアルゼンチン航路を対象に加えた。選定のきっかけについて城山は、「海外の会議でインドでの取り組みを紹介したところ、真っ先に興味を示してくれたのが当社グループ会社のアルゼンチン代理店でした」と説明する。檜垣は、「彼らは最初の顔合わせ会議のときから、なぜ自分たちがShipping AIDに関わりたいのか、どういうコンセプトでやっていきたいのかなど、高い熱量で説明してくれました。今回のアルゼンチンでの寄付は現地のグループ会社社員の方々に中心となって対応いただきましたが、寄付の後彼らが『すごくモチベートされた、継続するべきだ』と力強く言ってくださり、当社グループの方々も巻き込めたという点でも、大きな進展だと感じています」と話す。
インタビュー直前、アルゼンチンでの贈呈式に参加した日本郵船のグループ会社NYK DO BRASIL (TRANSPORTE MARITIMO) LTDA.の山本から、ぬいぐるみが届いた。アルゼンチンの寄付先である団体が運営する支援センターで、現地の女性たちが職業訓練の一環として手作りし、販売されているものだ。ぬいぐるみを差し出しながら檜垣は、「インドでは女性の就業支援活動において縫製された衣服を寄付品として購入し、現地で寄贈しました。山本さんと、今後アルゼンチンでも同様の形で寄付と支援につなげられるのではないかと話しました。また、このぬいぐるみをオフィスに飾ることで、社内でShipping AIDについて話すきっかけを作り、インドやアルゼンチンでの取り組みを広く知ってもらう機会にしたいと思っています」と話す。社内でESGの意識を浸透させていくためには、一人ひとりの経験や想いを言語化して、あらゆる機会で発信していくことが大切になる。「私がインドで得た経験も風化しないように、日々皆さんに伝え続けていきたいと思っています」と続けた。
自動車メーカーとの共創も視野に
事務局で主に広報の役割を担う有山は、自社養成の機関士として約7年間、自動車専用船や客船、LNG船で海上職を経験。2023年10月から陸上勤務となり、そのタイミングで初めてShipping AIDを知ったという。「入社したときにはESG経営という言葉は聞いたことがなく、陸上勤務に就いて以降、社内の色々な変化に驚かされています。海上勤務ではインドや南米のチリ、アフリカなどさまざまな港に行きましたので、関係のある地域に貢献できればと思い、活動しています」と話す。これからの新たな地域の展開については、「個人的には今はまだ新しい地域の展開を考えるよりも、今ある地域での活動を継続し、実績を重ねながらグループ会社をはじめ他社からの共感や理解を得て、新たな展開を推し進めるための力を溜めて次の準備をするフェーズだと思っています」と語った。
インドでは現在、日本の自動車メーカーへShipping AIDについて説明し、参加を呼び掛けている。各社独自の社会貢献活動もある中で、日本郵船グループの提案に協賛してくれるかどうはまだわからない。だが城山はこう語る。「自動車産業はその国・地域の経済活性化に強い影響力を持っています。だからこそ自動車メーカーと共に取り組み、社会課題解決の活動を発展させていきたいと考えています」。
活動の継承がESG経営を浸透させる
2021年、日本郵船グループは「NYKグループESGストーリー」を発表し、ESGを経営戦略のど真ん中に据えることを宣言した。その年にESG経営の浸透を図る取り組みとして発案されたShipping AIDは仲間から共感を集めて実現し、その後もより多くの社員や地域へ広がりを見せている。このことはまさに今、日本郵船グループのESG経営が浸透から実装フェーズにあることを示している。
城山はこう語る。「ここ数年、自分の働きが会社全体にどのようにつながり、どのような価値に結び付くのかを意識する社員が増えていると感じます。自分たちのやっていること、物を運ぶということが、地域の活性化にもつながると実感できるこのSipping AIDの取り組みは、部門全体に活動への共感が広まるという意味でも非常に意義があります」。また、檜垣の贈呈式報告書の写真を見て、その表情からも本人の達成感や充実感を感じたという。「これからも、特に若い社員に事務局に入ってもらい、現地とのやりとりでいろいろなことを経験してほしいと思います。それぞれが経験して感じることは、これから先の会社の財産にもなると確信していますし、そこの経験の部分をサポートすることが、この先の私の役割だと思っています」と話した。
有山に今後のShipping AIDの展望について尋ねると、「Shipping AIDが自律的に動いていくことが最高の形だと思っています」と答えた。「自動車メーカー、現地のスタッフを巻き込んでいき、最終的にはShipping AIDを各自で始められる仕組みを作れば、さまざまな国・地域に広がっていくと思っています。そのためにはインドとアルゼンチンでのノウハウをもとに、こういうふうにやればできますよと伝えていきたいです。Shipping AIDのフィロソフィーに共感していただき、方法もお伝えすることができれば、その先は各々が走り出すだけです」と続ける。これこそが、ESG経営が本当の意味で一人ひとりに浸透した先の形なのだろう。
人から人へ、先輩から後輩へ、このShipping AIDの活動を継承していくこと自体が、社内、グループ会社内、そして広く関係先でESG経営をドライブさせるエンジンとなるだろう。その意味でShipping AIDという活動は、まだまだ船出したばかりだ。
インタビュー 2024年8月21日
- ※ ESG Navigator
ESG経営推進を担う担当者のこと。各部署においてトップダウンとボトムアップの両方のアプローチでESG経営推進を支える