日本郵船ってどんな会社?歴史から学ぶ

時代の荒波を乗り越えて!「日本郵船氷川丸」の歴史と文化価値<前編>

山下公園から見える氷川丸

港町・横浜のシンボル「日本郵船氷川丸」。時代の荒波を乗り越えてきた氷川丸の船歴と、国指定重要文化財としての価値をご紹介しましょう!

「日本郵船氷川丸」の優しい汽笛が横浜港に響く

港町・横浜の魅力を発信し続ける臨海エリア、その景観の一部をなす大さん橋(横浜港大さん橋国際客船ターミナル)から、一隻の大きな客船が出航していきます。その名は「飛鳥Ⅱ」。日本郵船グループの郵船クルーズ(株)が運航している外航クルーズ客船です。煙突の赤い2本線「二引」は日本郵船グループのファンネルマーク(船の目印)です。岸壁をゆっくりと離れ、海原へと滑るように進んでいきます。すると……。

「フォ~」
「フォ~」
「フォ~」

心なしかレトロな響きにも聞こえる汽笛の音が聞こえてきました。振り向くと、汽笛を鳴らしたのは氷川丸。ファンネルマークはこちらも「二引」。戦前の1930年、日本郵船が北太平洋航路に投入した貨客船です。現在は山下公園に係留され横浜のシンボルとして親しまれています。

「行ってらっしゃい。航海中のご無事を」
まるで微笑みながら「飛鳥Ⅱ」を見送っているかのようです。

「ブォ~」
「ブォ~」
「ブォ~」

今度は「飛鳥II」が鳴らした、ひときわ力強い汽笛が三度、響き渡ります。
氷川丸に向けた
「行ってきます」の挨拶です。

奥に見えるのが大さん橋を出航した「飛鳥Ⅱ」、手前が「氷川丸」。互いに汽笛のエールを交わす。

奥に見えるのが大さん橋を出航した「飛鳥Ⅱ」、手前が「氷川丸」。互いに汽笛のエールを交わす。

竣工は1930年。氷川丸は日本近代化の象徴的存在

氷川丸の竣工は1930(昭和5)年。前年の1929年、アメリカで株価の歴史的な大暴落が発生。それは世界恐慌の引き金ともなり、やがて第二次世界大戦へつながっていったことは、学びの中で記憶している人も多いでしょう。

開国以来の日本は、日清戦争、日露戦争に勝利し、第一次世界大戦では戦勝国となり、経済発展と近代化を成し遂げ、アジア随一の先進国として名を高めていました。文化的には大正ロマン、昭和モダンといった目立つ流行やスタイルが生まれました。経済的には商社やメーカーが海外へ進出してビジネスを展開。造船分野では第一次世界大戦で打撃を受けた欧州各国に代わって多くの受注を獲得しました。海外から人材、技術、素材を取り入れ、近代的造船の地力を蓄えていった、そんな時代でもあったのです。

氷川丸は日本郵船が1930年に竣工した大型貨客船です。旅客と貨物を積み込んで北太平洋航路を往来する「北米航路シアトル線」に配された船でした。海外貿易の発展とともに熾烈な競争下にあった日本~カナダ・アメリカ航路に投入される日本郵船期待の新造船でした。

起工(建造開始)は1928年11月8日、進水は1929年9月30日。当時としては大型の、貴賓室をはじめとする豪華内装をもつこの船の進水まで、わずか1年でこぎ着けたことになります。
竣工(船主への引き渡し)は1930年4月25日、就航は翌月の1930年5月13日。この「4月25日」は氷川丸の誕生日とされ、バースデーイベントが催されています(コロナ禍中は中止)。

米国の喜劇王、チャールズ・チャップリンも使用した一等特別室。

米国の喜劇王、チャールズ・チャップリンも使用した一等特別室。3部屋続きで、手洗い、バス、トイレ、寝室、居間で構成。往時の雰囲気が感じられる。

命名の由来は埼玉県大宮のあの神社!

氷川丸には「日枝丸」「平安丸」という姉妹船があり、氷川丸を姉妹船の一番船、日枝丸を二番船、平安丸が最終船とされました。船名は三隻とも神社名に由来しイニシャルは「H」で統一されているのです。氷川丸は武蔵一宮 氷川神社(埼玉県さいたま市)から命名されました。ブリッジ(船橋)には神棚が据えられ、現在も参拝することができます。

武蔵一宮 氷川神社より分祀を受けた神棚がブリッジに鎮座する。

武蔵一宮 氷川神社より分祀を受けた神棚がブリッジに鎮座する。

船の中で最も見通しの利くブリッジに神棚とくれば一見奇異な組み合わせに思えますが、船乗りという仕事が命懸けであることをさす言葉に「板子一枚下は地獄」とあるように、船乗りたちは信心を胸に安全な航海に励むのです。

就航以降1941年8月まで11年3カ月にわたって北米航路シアトル線を往復した氷川丸ですが、太平洋戦争によって航路の休止が決定されました。この間、乗客数延べ1万人と貨物を運び続けた計算になります。

主な貨物は輸出品が生糸や陶磁器、輸入品は小麦や銅、木材で、シアトル到着後の貨物はグレートノーザン鉄道に引き継がれ、北米大陸内の各地へ届けられました。

生糸の荷役作業風景。

生糸の荷役作業風景。

プラモデルにもなった"戦わない船” 氷川丸

ここで少し方向舵を動かして、大人の少年たちの大好物、プラモデルの世界へと航路を進めてみましょう。

船のプラモデルシリーズとして知られる「ウォーターラインシリーズ」のスタートは1971年。そのラインアップの多くを戦艦など軍艦が占める中、例外的に登場した“戦わない船”が、何を隠そう氷川丸です。ただし、戦わない船とはいっても海軍の一員、人命を救助する病院船です。

ハセガワ「1/700 病院船氷川丸」税込1320円。

ハセガワ「1/700 病院船氷川丸」税込1320円。

氷川丸はシアトル航路休止の後、海軍に徴用され、1941年の末には特設病院船としての改装を完了しました。日本郵船を象徴する煙突の「二引」も隠され、国際条約にのっとり、白い船体に緑の線と赤十字マークの外装とされました。この「病院船氷川丸」がハセガワ(当時、長谷川製作所)によって1980年頃に模型化されています。現在では貨客船「1/700 日本郵船氷川丸」と2倍大きなスケールの「1/350 日本郵船氷川丸」、さらに姉妹船の平安丸も「特設潜水母艦 平安丸」としてラインアップに加えられています。

ハセガワ「1/700 日本郵船氷川丸」税込1320円。

ハセガワ「1/700 日本郵船氷川丸」税込1320円。

再び貨客船として。シアトル航路に「ようそろう」※

病院船に改装されオリジナルの装備の多くを失ったことは残念でしたが、病院船に改装されたことこそが氷川丸の運命を決しました。なぜなら姉妹船の日枝丸、平安丸はそれぞれ、特設運送船、特設潜水母艦に改装されたことにより海上で砲火に散り、氷川丸は病院船ゆえに、生き残ることができたからです。

敗戦後、氷川丸はかつての姿を取り戻すべく大改装を受け、1953年に再びシアトル航路に就きました。

その後、船齢30年となる1960年10月17日に引退。翌年には生まれ故郷であり、また神奈川県と横浜市からの要望もあって、海事・海洋思想普及 の場および「海の教室ユースホステル」として開業しています。

団塊の世代の中には「氷川丸といえばユースホステル!」と記憶している人も少なくないはずです。また観光地らしい施設としてはレストランやビアガーデンも長く営業されており、友人・知人、働く仲間たちとの交流の場としても親しまれました。

※「ようそろう」船の操縦において、今向いている方向へ直進してよしという意味で使われるかけ声。「ようそろ」「ヨーソロー」とも。

開業当時の横浜マリンタワーと氷川丸。1960年代。

開業当時の横浜マリンタワーと氷川丸。1960年代。

日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン

現在私たちが目にすることができる氷川丸は、2008年4月25日に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンした姿です。竣工当時の姿への復元が前提とされ、とりわけ一等食堂をはじめとする主要な部屋の装飾 については、当時フランスの設計チームが手がけたアール・デコ様式のインテリアを楽しむことができるよう、当時資料を参考に、丁寧に復元されました。

2016年、氷川丸は「洋上で保存されている船舶」として初めての国指定重要文化財に指定されました。日本郵船は船齢100歳を迎える2030年に向けて保存活用を展開すると宣言しました。これもひとえに、氷川丸が島国日本における紛れもない歴史の象徴であることの証しといっていいでしょう。

横浜船渠(現・三菱重工横浜製作所)で製造されたことを証明する船銘板。No.177は横浜船渠で製造された船の番号を示す。

横浜船渠(現・三菱重工横浜製作所)で製造されたことを証明する船銘板。No.177は横浜船渠で製造された船の番号を示す。およそ1世紀前のオリジナルだ。

港町・横浜のランドマークというべき存在となった現在の氷川丸を人の一生に例えるとしたら、精一杯現役を生き抜いた後の、悠々自適な余生といったところでしょうか。往年の華やかなりし頃、苦しみや悲しみを味わった時代、そして第二の人生を歩む現在。それぞれのドラマを来訪者に語り聞かせるかのような氷川丸という存在は、確かに歴史の生き証人なのです。

巨大な重要文化財の胎内を巡るかのような非日常的なエンターテインメント性を楽しむもよし、数奇な歴史と日本の100年史を合わせ鏡で見ることも、大きな学びのあることでしょう。氷川丸はいつでも、あなたの訪問を待っています。

次回後編は<日本郵船氷川丸の歩き方>です!

山下公園から見た氷川丸

海に浮かぶ国指定重要文化財の「日本郵船氷川丸」は山下公園のシンボル。入館時間10~17時(入館は16時30分まで)/月曜休館(祝日開館。翌平日休館)/入館料一般300円ほか/電話 045-641-4362

オフィシャルサイト
日本郵船氷川丸
https://hikawamaru.nyk.com/index.asp