特別対談

コンプライアンスを超えた徹底的・持続的な取り組みが航海の安全・安心を実現する(抜粋版)

海運業にとって、「安全」は常に追求すべき最重要テーマです。海難事故を防ぎ、国際社会の“大動脈”としての役割を果たし続けられるよう、安全運航や環境保全に関する国際ルールの整備が進められてきました。そのようなマリタイム(海事)ガバナンスの中枢を担うのが、国連の専門機関「国際海事機関(International Maritime Organization:以下IMO)」です。今回、IMO前事務局長の關水康司(せきみず・こうじ)氏をお招きし、常務経営委員の小山智之と、当社グループのマテリアリティ(最重要課題)である「安全、環境、人材」に関する取り組みと将来のマリタイムガバナンスについてお話いただきました。

安全を経営の根幹に位置付け、 実効性の高いコード運用を

關水

海運の歴史は、いわば海難の歴史でもありました。なかでも大きなターニングポイントとなったのが、1912年のタイタニック号の沈没事故です。この悲劇がきっかけになり、1914年に初めての国際条約である「海上における人命の安全のための国際条約」(通称:SOLAS=Safety of Life at Sea)が採択されました。その後も事故を教訓に新しい条約がつくられ、海の安全を守る重要な規範となっています。

小山

当社は、そうした海のルールへ、いかに迅速、適切にレスポンスしていくかに力を注いできました。その一例が、1992年の安全推進本部の設立です。発端となったのは、1980年代に海難事故が頻発したことを受けて、IMOが国際安全管理コード(ISMコード)導入の検討を始めたことでした。また、安全管理は海上職の役割という考え方が主流でしたが、当社では、安全管理を経営の中枢に位置付け、設立当初から経営トップが安全推進本部長を務めています。

人材の多国籍化に対応し、ロイヤリティある船員を育成

小山

ISMコードはフレームワークであり、その枠組みのなかで実際にどのように取り組むかは、各社に任されています。そのため当社では、お客さまに対して安全運航と輸送品質を担保するために何をすべきかという観点から、独自の目標や仕組みをつくって対応してきました。 1998年に「NAV9000」という当社独自の安全基準をつくり、当社が船舶を用船している船主さん、船舶管理会社や本船の監査を行う第二者監査の仕組みを導入しました。監査といっても一方的に検査して改善を要求するわけではありません。ビジネスパートナーとして対話を重視し、安全管理や環境保全の重要性をご理解いただいたうえで、コンプライアンスのレベルを超えた実効性の高い対策を講じていただくことを目指しています。

關水

素晴らしいと思います。もう一つ、海運各社がISMコードを実装していくうえで大きな悩みとなったのは、人材の多様化、グローバル化にどのように対応していくかという点だと思います。1970年代の半ば頃まで、日本の海運会社が運航する船の乗組員の大多数は日本人でしたが、現在では98%以上が外国籍の船員です。多国籍の人々が働く国際社会のような船上で、これまで以上の安全対策やオペレーションの品質向上を追求していくのは、非常に難しい課題だったはずです。

小山

私たちも、いろいろと試行錯誤してきました。マニュアルやツールで伝えられることには限りがありますので、当社のポリシーや安全管理の大切さを深く浸透させるため、「NYKマリタイムカレッジ」というバーチャルな学校をつくり、自分たちの手で船員育成を行っています。2007年には、他社に先駆けてフィリピンに商船大学(NYK-TDG MARITIME ACADEMY、NTMA)を設立し、 良質な船員の確保と育成に努めています。
これらの取り組みを継続的につなげていくことで、国籍が違っても「船の上で働く時は、ナショナリティはNYKだ」という一体感を持ち、高い安全意識とロイヤリティを備えた人材を育てています。

中ノ瀬の事故の教訓を胸に刻み、 危機意識を持って安全管理を強化

小山

1997年7月2日、当社が運航するタンカー「ダイヤモンド・グレース」が東京湾中ノ瀬で浅瀬に船底接触し、約1,550キロリットルの原油が流出した大規模な油濁事故です。重大な事故を起こすと社会に多大な影響を及ぼし、会社の存続すら脅かしかねないことを痛感させられた出来事でした。あれから約20年が経過し、当時の状況を知らない社員も増えました。そこで2018年3月、事故の教訓を風化させないために、当時を知る社員の証言インタビューや事故の様子を再現したCGなどで構成した安全啓発の動画を制作し、社員教育ツールとして活用しています。

關水

海運業は、私たちの生活に欠かせないさまざまな物資やエネルギーを運ぶ重要な役割を担っていますが、ひとたび事故を起こすと、どうしてもマイナス部分だけがハイライトされてしまいます。それだけに、経営トップ以下全社員が過去の事故の教訓を忘れることなく、“事故は起こり得る”という高い危機意識を持って、地道な安全を守るための努力を継続的に行っていくことが非常に大切です。

将来のマリタイムガバナンスへの積極的な貢献を

小山

關水さんが旧運輸省やIMOにおいて、長年心血を注いでこられた海事における国際ルールづくり、すなわちマリタイムガバナンスの世界では、歴史的な経緯もあり欧州の国や企業が大きな影響力を発揮しました。オペレーションのクオリティや安全対策では、今や欧州に勝るとも劣らないレベルにあると自負していますので、これからは私たちもルールメイキングにもっと関与し、“しょうゆ味”のルールをつくれたらと思っています。

關水

今後のルールづくりを進めるうえでは、海上の安全や環境保全も見据えた船舶の技術革新が深く関わってきます。日本がそのような将来の技術開発で先行し、世界の海運界をリードし、グローバルな展開をしていく状況になれば、ルールメイキングにおいても主導的な役割を果たせるようになるはずです。

小山

当社の技術革新の一例に、世界に先駆けて実用化した船舶パフォーマンスシステムSIMS(Ship Information Management System)があります。船舶から収集した情報を蓄積し、ビッグデータとして分析することで、トラブルの予知や燃料節約などにも活用でき、一層の安全運航や環境負荷低減につながります。
さらに当社では、自動操船の実用化研究にも注力しています。自動航行の要素技術を応用し、操船ミスによる事故の未然防止や乗組員の作業負荷軽減など、高度な安全運航に寄与することを目指した研究開発です。

關水

IoTやビッグデータを活用して安全性を高め、環境負荷を軽減する取り組みは、今後も積極的に推進すべきです。自動航行技術を安全性向上や作業の省力化に活用することも非常に有用だと思います。ただし、AIの扱い方には注意が必要です。船舶のオペレーションは、大自然のなかでやっていく活動で、人工的に制御されたエリアではありませんから、安全運航を確保するための複雑なプロセスのなかで、どこまで機械に判断を任せるかについては、法的整備も含めて慎重に検討する必要があります。

小山

おっしゃる通りです。さまざまな技術開発を進めていく際に重要なのは、メーカーや技術者が一方的に主導するのではなく、船の運航に携わる私たちユーザーの視点も含めて議論していくことだと考えています。

關水

メーカーはメーカーの立場で技術の可能性を追求していくでしょうが、安全運航のために本当に必要なツールは何か、それをどのように運用していくかは、やはり実際の運航に長年取り組まれてきた海運会社を中心に議論していくべきだと私も思います。
将来の国際ルールづくり、マリタイムガバナンスをどのように舵取りしていくかは、御社を含めた海運業界の未来を左右する問題ですから、自らの将来をつくるつもりでぜひ積極的に参画していただきたい。船舶の安全運航や船員教育のほか、さまざまな分野でコンプライアンスを超える充実した活動をされてきた御社なら、将来のルールづくりにおいても必ず重要な役割を担えるものと期待しています。

(2018年3月取材)

IoT時代の技術チャレンジ(抜粋版)

船舶のIoTとビッグデータの有効活用をユーザーの視点でリードする

当社グループは、お客さまや社会の求める安全で経済的かつ環境に配慮した海上輸送サービスを実現するために、さまざまな活動をしています。その一つとして船舶に関わるIoT、ビッグデータをはじめとするICT技術の活用に注目しています。今回は、ICTの研究開発分野をリードする国立情報学研究所所長で東京大学教授の喜連川優氏をお招きし、当社グループの技術開発を担う(株)MTI代表取締役社長の田中康夫と、当社グループの最新の取り組みや今後の展望などについてお話いただきました。

IoTを駆使して業務改善

Q 近年、IoT、ビッグデータの活用が注目されています。最初に、IoTが社会でどのように使われているのか教えてください。

喜連川

東大生産技術研究所で実施した、IoTを活用した看護師の看護行動の分析事例をご紹介します。
看護師のポケットや手首、ウエストなどに3軸加速度センサとRFIDタグを装着し、看護行動を血圧測定や採血、点滴、患者の介助など41種類に分類したうえで、センサを装着した看護師にそれらの行動を繰り返してもらい、データを収集・分析して自動で看護行動を識別するための学習モデルを構築しました。ある病院の看護師75名を対象に、延べ1,655日の看護行動を調査した結果、圧倒的に多くの時間を費やしているのが「看護記録のデータ入力」だと判明しました。別の病院の実験でも同じ結果で、なんと皮肉にもITが課題の根源に関わっていたわけです。ビッグデータで重要なペインを浮き彫りにすることができ、今後IoTで解決することが期待されます。

田中

IoTやビッグデータを活用していろいろな行動分析を進めて仕事を「見える化」することで、課題の発見につながりますね。

喜連川

「見える化」という従来の感覚をはるかに超え、透き通るように見える「超可視化」ともいえる新しい世界がビッグデータによってもたらされます。

船陸間で運航データを共有して省エネ運航を追求

Q 日本郵船グループにおけるビッグデータ活用の取り組みをご説明ください。

田中

当社グループでは、近年、安全で経済的な船舶の運航を推進するため、ビッグデータ活用に取り組んでいます。その基盤となるシステムの一つが、2008年から運用を開始した「SIMS(Ship Information Management System)」です。SIMSの稼働によって正確な状況把握に基づく精度の高い運航管理が可能になりました。
燃料消費量のデータに加え、船速・風向・風速・針路・舵角といった運航状態に関するデータを収集・記録し、通信衛星を介して船陸間で共有する情報基盤がSIMSです。SIMSを導入した船舶が運航を繰り返すことで、さまざまな条件下でのデータを蓄積することが可能になりました。これらを分析し、燃料消費量が膨らむ要因を「天候影響」「スピード配分」「コース選定」など7種類に分類しました。

喜連川

条件を揃えて比較分析すれば、どのような運航が効率的かは一目瞭然ですよね。

田中

はい。状況を「見える化」したことで「この状況ならこういう運航が最適」というベストプラクティスが分かってきました。例えば、天候の変化に合わせた速度調整ができているか、港を早めに出航して減速航行できているかなど、船陸が一体となって運航改善を追求しています。

喜連川

ビッグデータによりビジネスのプロセスそのものがどんどん変わっていき、ICTが大きく世界を変えるということの非常に生き生きとした感覚が伝わってくるよい事例ですね。

運航データを設計に活かし環境と安全性能のより優れた船舶を目指す

田中

SIMSの活用によって、燃費効率の向上が図られ、同時にCO2排出量の削減効果も得られています。加えて、船舶の建造や改造などの設計段階においても実際の航路で蓄積した運航データを活用し、より燃料消費量を抑え環境負荷低減を可能にする船舶の実現を目指しています。

喜連川

国際競争が激しさを増すなかで、これから日本が強みを発揮できる領域の一つが環境分野だと思います。

田中

当社グループは、将来のゼロエミッション社会を見据えたコンセプトシップ「NYK SUPER ECO SHIP 2030」を発表しています。こうした環境負荷低減の技術開発においても、データを活用することは非常に重要です。
また、現在はデータの活用を安全運航の追求にもつなげる取り組みを始めています。エンジンをはじめとする主要機関のコンディションを監視したり、解析の手法を工夫したりすることで、故障の予知・予防に活かそうとしています。

オープンプラットフォームを推進して業界のイノベーションをリードする

田中

当社グループでは、造船会社や機器メーカーなど共同研究パートナーにデータを提供し、船舶や機器の性能向上を図っています。さらに、船舶のIoTデータのオープンプラットフォーム化に向けて、ISO標準化や日本と欧州の船級協会とのデータセンター構築に協力しています。

喜連川

日本郵船グループはデータ活用を通じて、自社の業務だけでなく海運業界全体のビジネスプロセスを改善しようとされています。ここまで踏み込んでいる企業は、国内はもちろん世界でも珍しく、先進的な取り組みだと感心しました。

田中

その点については、当社グループがメーカーではなくユーザーの立場にあることが大きいと思います。船舶を使い続けることで得たデータや知見を有効に活かすためには、メーカーや大学・研究所との協業が欠かせません。

喜連川

ユーザー側のデータに基づくエンジニアリングが、これからの“モノづくり”にとって重要なキーワードになるのではないでしょうか。メーカーの手を離れた製品が、その後どのような使われ方をしているのかを一番よく知っているのはユーザーです。それだけに今後、ユーザーとメーカーがデータを共有することにより社会や環境に優しいイノベーションをつくる時代になることは必至と確信します。

AI(人工知能)を含む先進ICT技術を徹底的に活用

Q 最近はAIにも注目が集まっていますが、今後の可能性についてご意見をお聞かせください。

喜連川

ビッグデータ、IoT、AIという3つのテクニカルタームは、実はほとんど同じ領域を意味しています。なかでも、ベースとなるのがビッグデータです。データを効率的に収集するための手段がIoTであり、データを解析するのがAIです。今日ディープラーニングによりAIの精度が飛躍的に向上しましたが、その変革感を与えている最大の要因は大量データが利用可能になったからです。どのようなデータを揃えられるかが重要なのです。

田中

AIが判断できるようデータを揃えることが重要なのですね。自動運転に関していえば、船舶の分野でも「自律化船」と呼ばれる自動運転の研究プロジェクトが始まっています。
当社グループも国土交通省が推進する海事産業の生産性革命(i-Shipping)というプロジェクトに参加して自律化の研究を進めていますが、いきなりAIによる無人運転を実現しようとは考えていません。まずは、人による安全運航をサポートするための道具として、AIを含む広い意味でのICT技術を活用しようと考えています。

最後に、喜連川先生からのメッセージをお願いします

喜連川

日本郵船グループが社会環境の変化や技術革新の動向を捉えながら、ビッグデータを基軸としたICTを徹底的に活用しようと取り組んでおられるのがよく分かりました。
とりわけオープンプラットフォームの仕組みを積極的に推進し、業界・社会全体でイノベーションを進めていこうという姿勢は、海運業界以外においても大いに参考になるはずです。

(2017年3月取材)