【日本郵船の歩み 19】

原油タンカーの減船

竣工後、わずか2年で売却された「高崎丸」
原油の海上荷動き量と原油タンカーの船腹量
出典:『Review 1984』
DWT:Dead Weight Ton。載貨重量トン
MT:Metric Ton。容積トン

第二次世界大戦後の日本のエネルギー政策の中心が石炭から石油へ転換したことを受け、1970年ころからタンカー市況は好調で海運各社はこぞって原油タンカーを発注。造船所の大型船台は数年先まで予約で埋まっていた。

油槽船部門の拡充を経営の最重要戦略に挙げていた日本郵船も、原油タンカーを続々と建造。しかし、第四次中東戦争(73年)をきっかけに起こった第一次オイルショック後の世界的な経済不況で、運賃は73年1月をワールドスケール※1で100とすると第一次オイルショック直前には400を超えていたが、翌年1月には80、翌々年には35にまで暴落した。

一方、原油タンカー以外の不定期船市況は燃料費が高騰したものの鉄鋼を中心に荷動きが好調だったため、タンカー市況の低迷が一過性のものか長期的なものか見解は分かれた。しかし、当時の社長であった菊地庄次郎(1912〜84)は高度経済成長の終息とタンカー市況の長期低迷化を予見し、これまでの方針を180度転じる大胆な原油タンカーの減船を断行。75年には保有船30隻のうち7隻を売船し、建造予定の原油タンカーはすべてほかの船種に変更した。

これにより売却損が発生し、収支は一時的に悪化したが、その後長期にわたって低迷したタンカー市況による直接的な被害を最小限に食い止めることができた。

※1 ワールドスケール
原油タンカーの運賃指標

グループ報「YUSEN」2009年10月号表紙

グループ報「YUSEN」
2009年11月号No.627
【表紙のことば】
紅葉の秋。皆さんは、どんな秋を
過ごしますか?

日本郵船歴史博物館