【日本郵船の歩み 17】

海運集約化政策

1950年代後半、日本経済は重化学工業を中心とした産業構造への転換によって発展を続けていた。しかし、海運業界は第二次中東戦争(56〜57年)で市況が暴騰したスエズブームの予想外に早い終息とともに深刻な不況の時代に突入。邦船社間の競争も激化し、各社は経営状態の悪化に苦しんでいた。

こうした中、第一次池田内閣(60年)が国民所得倍増計画を決定。それを支える政策として、邦船社間の過当競争排除と企業規模適正化によって海運の国際競争力を高める計画が立案された。それを受けて、海運造船合理化審議会の答申などに基づき、海運業の再建整備に関する臨時措置法と外航船舶建造融資利子補給臨時措置法の2法が施行された。これらは邦船社を外航船腹100万トン以上の企業グループへ集約し、造船融資利子を優遇して経営改善などを支援するものであった。この結果、日本の海運業界は64年4月1日より6グループに集約された。

日本郵船は、三菱海運(株)(当時)と合併。集約完了時の日本郵船グループが保有する船腹量は、228万8,000トンとなった。

海運集約の動き
グループ報「YUSEN」2009年9月号表紙

グループ報「YUSEN」
2009年9月号No.625
【表紙のことば】
深海に眠る可能性を掘り起こせ

日本郵船歴史博物館