日本郵船歴史博物館
航跡Voy.177 戦時体制へ

 船隊強化に伴って就航したN型船、A型船により、日本郵船は貨物船部門整備の遅れを取り戻した。1937年後半、日本郵船の遠洋航路就航船は87隻、63万5,000トン余り。ほかに用船10隻を使用して船客10万5,000人以上、貨物230万5,000トン以上を輸送し、営業収入も過去最高を記録した。
 引き続き欧州航路用にはA型船改良型のS型船が就航するとともに、その頭文字からNYK3姉妹船と呼ばれた「新田丸」「八幡丸(II)」「春日丸(II)」の貨客船3隻を発注。さらにサンフランシスコ(米国)航路用に日本で初めて2万トンを超える「橿原(かしわら)丸」「出雲丸(II)」の建造も開始され、その勢いはさらに増していくかのように思われた。
 しかし37年の日中戦争、39年の第二次世界大戦開戦により状況は暗転。欧州の戦局拡大とともに、遠洋航路は相次いで休止に追い込まれた。そして42年には戦時海運管理令が施行され、船会社の全船舶はその規定に基づいて設立された特別法人船舶運営会の統括下で運航されるようになり、各社の営業活動は事実上終わりを告げた。
 太平洋の新たな女王となるはずであった「橿原丸」「出雲丸(II)」、NYK3姉妹船「新田丸」「八幡丸(II)」「春日丸(II)」はいずれも海軍省(当時)に買い上げられ、それぞれ航空母艦「隼鷹(じゅんよう)」「飛鷹(ひよう)」「冲鷹(ちゅうよう)」「雲鷹(うんよう)」「大鷹(たいよう)」に改造されたのである。
「春日丸(監)」と「春日丸(監)」から改造された「大鷹」
「橿原丸」(完成予想図)と「橿原丸」から改造された「隼鷹」


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グループ報「YUSEN」2008年11月号表紙 グループ報「YUSEN」
2008年11月号No.615

【表紙のことば】
海から未来を考える。
その舞台はここ、BAR MERMAID