日本郵船歴史博物館
航跡Voy.168 日本郵船歴史博物館

 東京〜四日市(三重県)の米1石※1の海上運賃が27円から10円まで値下げされるなど、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の値引き競争による主導権争いは消耗戦の様相を呈していった。時の農商務卿、西郷従道は両社共倒れという日本海運の危機を回避すべく協議を促し、ついに1885年、両社が合併して日本郵船会社※2が誕生することとなった。その交渉のさなか、郵便汽船三菱会社社長、岩崎彌太郎(1835〜85)は50歳の若さで他界。新会社の誕生を見ることはなかった。
 新会社には郵便汽船三菱会社の従業員約2,200人中515人が移籍し、初代社長には共同運輸会社の森岡昌純(1833〜98)が就任。10月1日に資本金1,100万円、保有汽船58隻(総トン数6万4,610トン)、沿岸航路11線、近海航路3線(横浜〜上海、長崎〜ウラジオストク、長崎〜仁川)で営業を開始した。二引の社旗はこの時制定され、2本の赤い線は合併した両社を象徴する一方で、航路の地球横断と彌太郎の世界一周の悲願を表したものといわれている。
 今から123年前、日本初の白熱電灯が東京丸の内で点灯した年のことであった。

※1 1石 : 約150キログラム
※2 日本郵船会社 : 1893年施行の商法会社編に則し、同年12月1日に新定款を制定。社名を日本郵船株式会社と変更

日本郵船会社の誕生
日本郵船会社 創立命令書
「日本郵船会社 創立命令書」(85年9月29日)。農商務卿から出された会社創立命令書全17条
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グループ報「YUSEN」2008年1月号表紙 グループ報「YUSEN」
2008年2月号No.606

【表紙のことば】
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