日本郵船グループ報「YUSEN」より“航跡”
第47回「土佐稲荷」

大阪市西区の土佐公園には、三菱グループゆかりの土佐稲荷(いなり)神社があります。
 江戸時代、この一帯を流れていた長堀川両岸に土佐藩邸があり、土佐から船で運んできたカツオや材木を全国へ流通させていました。そこに古くからある土佐稲荷は、蔵屋敷の鎮守社として藩主の山内家からもあつく信仰されていました。
 後に資金難に陥った土佐藩の藩邸は豪商の抵当に入り、その借金を肩代わりして返済し、払い下げを受けたのが三菱グループの礎、岩崎彌太郎の九十九(つくも)商会でした。そして土佐稲荷の隣に居を構えた彌太郎は、守り神としてこの神社を大切にしました。
 九十九商会はその後、三川商会と改名。さらに1873(明治6)年には三菱商会と改め、翌年本社を東京に移すに当たって長堀の土地や建物の大半を大阪府に譲渡しました。しかし、土佐稲荷だけは引き続き三菱で守ることとなり、今日に至っています。神社を囲む玉垣※1には三菱グループの企業が名を連ね、神社の紋には土佐藩主山内家と岩崎家両家の家紋である三ツ柏と三階菱を組み合わせた三菱の紋章(スリーダイヤモンド)が入っています。
 また、境内には当社有限責任東京倉庫会社(現、三菱倉庫(株))が奉納した灯籠(とうろう)※2が残っています。
※1 玉垣:石の柵
※2 灯籠には明治9年奉納とあるが、日本郵船は明治18年創立で、東京倉庫は大正7年に三菱倉庫に社名変更されたため、明治18年〜大正7年の間に社名のみ入れたのではないかと言われている

こま犬 「三島丸」のディナーメニュー 玉垣
岩崎彌之助(彌太郎の弟)が寄進したこま犬 灯籠の側面には「日本郵船仲間」の文字が彫られている 「日本郵船」の社名が彫られた玉垣

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社内報「YUSEN」
2006年6月号

【表紙のことば】
NYKグループで働く船員を、学生の時から育てます。