日本郵船グループ報「YUSEN」より“航跡”
第45回「関東大震災と援助活動」

スマトラ沖地震およびインド洋津波の被災地に対し、当社グループが世界規模で援助活動を展開し、それが主な理由で朝日企業市民賞を受賞したことは記憶に新しいですが、今から約80年前の関東大震災の際にも、当社は援助活動を行っていました。
 1923(大正12)年9月1日に発生したマグニチュード7.9の巨大地震は、東京、神奈川、千葉、山梨、静岡、埼玉を中心に死者・行方不明者10万5,000人、家屋全壊10万9,000戸、半壊10万2,000戸、焼失家屋21万2,000戸を超える大被害をもたらしました。
 混乱の中、当社は横浜で修繕中だった「三島丸」に3,000人の被災者を収容し、うち約500人の負傷者を治療、さらに「山城丸」が関西から運んだ食料・飲料水を彼らに支給しました。
 また、上海航路を休止して「長崎丸」「上海丸」を東京〜神戸間に、「博愛丸」「竹島丸」を東京〜清水間に、「阿蘇丸」「筑波丸」を東京〜阪神間の連絡に充て、東西交通の維持に当たりました。救援物資の輸送では、22隻を使って関西から48万8,266俵の米を輸送し、さらに「熊野丸」「筥崎丸」「讃岐丸」「泰安丸」「りおん丸」「弘濟丸」「室蘭丸」をはじめ近海郵船(株)(当時)の「元明丸」「備後丸」「松山丸」などを加えた46隻で、2万7,973人の避難民を国内各地に、2,210人の中国人避難民を上海、香港、天津へ移送しました。
 約20日間におよぶ船客と積み荷の輸送は無償で行われ、当社の総力を上げた活動は内外から高く評価されたということです。
三島丸
上海丸
熊野丸
長崎丸


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社内報「YUSEN」
2006年1月号

【表紙のことば】
初夢に富士山を。