光客でにぎわう横浜の新港埠頭地区に、大正から昭和にかけて活躍した臨港列車(東京駅〜埠頭間)の線路と、かつての「横浜港駅」プラットホームの一部が残っています。同埠頭は、戦前シアトル航路・サンフランシスコ航路・欧州航路の客船が出入りして、乗下船客だけでなく送迎の人びとも大勢訪れる横浜港の表玄関でした。船会社が客船のスケジュールに合わせて運行申請した臨港列車は、蒸気機関車と5両ほどの客車から成り、「岸壁列車」の愛称でも親しまれていました。その第一号は、1920年(大正9)7月23日に出帆した当社のシアトル航路「香取丸」向けのもので、 東京から2等に115人、3等に116人が乗車しました。所用時間は約51分、28年(昭和3)の料金は、2等が1円6銭、3等は53銭(カレーライスが15銭程度)でした。戦争により16年間中断したものの、57年(昭和32)に「氷川丸」出帆のために再開され、2年後に同船で宝塚歌劇団がアメリカ公演に出発する際には5,000人もの見送りの人びとが詰め掛けました。しかし、翌年10月に「氷川丸」が最後の航海を終え、臨港列車もその歴史の幕を閉じました。
 線路と横浜港駅のプラットホームは、現在赤レンガパーク内で往時をしのばせながら、人びとの憩いの場となっています。
 


左/「横浜港駅」の臨港列車、右上/現在の赤レンガパーク内に残る線路とプラットホーム、右下/戦後、「氷川丸」出帆時に再開されたときの様子

Back Number 日本郵船歴史資料館

社内報「YUSEN」
2002年12月号

【表紙のことば】
 ノルウェー、ハダンゲル高原に住む女の子たち。特製の馬車ならぬ犬車で、巨大ダムの上を行ったり来たり、遊び方も豪快だ。このダムの上から見える大パノラマの世界は一見の価値あり。写真でお見せできないのが残念。

(Saga Forest Carriers社出向 近森茂雄)