真は1939年(昭和14)、ヨーロッパからアメリカを経由して日本へ向かう引揚船*「靖国丸」で焼かれた楽焼です。乗客たちのサインの中には、後のノーベル物理学者朝永振一郎の名前も見られます。ドイツのライプチヒ大学に留学中だった朝永は、領事館から滞独邦人引揚を命じる電報を受けて一夜で荷作りし、ハンブルク出港2時間前にあわただしく乗船しました。実はこの時、朝永の高校・大学の同級生で、やはり後年ノーベル物理学賞を受賞する湯川秀樹もニューヨークまで乗り合わせていました。
写真上:
「靖国丸 欧州より避難の途 太平洋上に於いて 昭和14年10月7日」と裏面に記された記念の楽焼。左上から3番目に朝永の名がある

写真下:
312号室には湯川、317号室には朝永の名が記された乗船名簿

 湯川の日記によると、「靖国丸」は各港からの200人を超す邦人で満員となり、乗客たちはスモーキングルームに集まって英国首相の対独開戦宣言のラジオ放送に耳を傾けていたようです。出港しても、当分は位置が分からないように電報を打つことを禁じられ、皆で潜水艦の危険を語り合うという状況で、その先行き不安な心情を「ボーボーと霧笛かなし灰色の海と空とのただなかにして」と詠んでいます。「船腹に新しく描かれた日の丸を背に撮影して、だんだん悲壮な気持ちになり」「心細い限りである」と記したその10年後に湯川が、さらにその16年後には朝永がノーベル物理学賞を受賞するとは想像だにしなかったことでしょう。

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社内報「YUSEN」
2002年8月号

【表紙のことば】
 元祖高級リゾートのニース(フランス)も、今では庶民向けのちょっぴり騒がしい町となったが、海を見下ろす高台には今も豪邸が建ち並ぶ。
 ニーチェも散策しながら思案したという、そんな高台から小さな入江に降りる小道で、眩耀(げんよう)の蒼(あお)い夏空に汗ばんでいると、海から吹き上げる涼風を感じた。太陽と風だけは庶民にも平等に与えてくれるか?

(技術開発グループ 廣岡秀昭)