1941年(昭和16)12月7日、サンフランシスコ近郊のゴルフ場で開催されたNYKコンペは、日本軍のハワイ真珠湾攻撃の報せによって中断されました。コンペに参加していた当社サンフランシスコ支店員の藤田千枝さんは「優勝者が決まったら名前を彫るように」と優勝カップを手渡されていました。しかし、その名が刻まれることのないまま、カップは彼女の手元に残されます。

藤田千枝さん
(1941年ごろ)
 翌8日からは日系人の検挙が始まり、支店の役職者は連行され、衣類などを届けに行った日系職員の1人も米国籍を持っていないことを理由にその場で捕らえられたと言います。藤田さん自身も日系人収容所に入れられますが、1943年に日米交換船“グリプスホルム号”で無事日本に帰国します。このように緊迫した状況の中で、カップは彼女の米国人の友人と米国に残った親戚の方によって大切に保管され、このほど約60年ぶりに東京在住の藤田さんの長女、臼井英枝さんの手元に戻されました。

   長い年月で輝きは失われましたが、貰い手をなくしたカップは静かに平和の尊さを語りかけているようです。

資料提供:臼井英枝 氏

ゴルフの優勝カップ

サンフランシスコ支店内


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社内報「YUSEN」
2002年3月号

【表紙のことば】
 英国のコッツウォルズ地方にある、何百年も前に建てられた石造りの家々と静寂に包まれた村の一つであるカースル・クーム。普通に歩けば、あっという間に一周してしまえる小さな村だが、のんびりと好きな場所に好きな時間だけいると、いつの間にか時がゆっくりと過ぎて行く。

(広報グループ 百瀬ユリ)