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日本郵船の歴史

第三章「戦後の経済成長を支えた専用船新しいニーズに応える海運時代の始まり」
延長丸でインドから運ばれた子象
触雷沈没する照国丸

日本の海運界は、第二次世界大戦で最も大きな痛手を受けた。それまで世界第3位の海運国として630万総トンの商船を保有していた日本は1945(昭和20)年、保有船舶量わずか150万トンと、ほぼ壊滅状態に陥った。しかし、ここから日本郵船は奇跡の復活を遂げる。

サンフランシスコ講和条約の調印式が行われた1951(昭和26)年、バンコク、インド、パキスタン、ニューヨーク、シアトル、カルカッタ航路再開を皮切りに、スエズ経由の欧州定期航路や豪州定期航路、中南米ガルフ定期航路、南米東岸航路、中近東航路、西回り世界一周航路、中南米西岸航路と、次々と戦前のネットワークを復活させていった。

そして1950年代後半(昭和30年代)、高度成長期を迎えた日本は輸出入が急激に拡大し、大型船の就航が望まれていた。油槽船(タンカー)をきっかけとする専用船の投入。これが日本郵船の出した答えだった。

当時の国際貨物の海上荷動量は、1950年に一般貨物を下回っていた石油輸送量が1960年ごろに肩を並べ、その後、一般貨物を凌駕している。エネルギー源の石炭から石油への移行、石油化学工業の発達などがその原因だった。世界規模での産業の変革は、世界の海運界に大きな課題を突きつけていたのである。「社会のニーズの変化に応えることが海運の責務である」日本郵船は大型油槽船の建造を決意し、1959(昭和34)年、第一船「丹波丸」を就航させた。当時、最大規模の油槽船の運航を不安視する声もあったが、業績は順調に伸びていった。この成功が多角化経営を方向づけ、1962(昭和37)年の第二船「丹後丸」の就航、日本初の大型LPG専用船「ブリジストン丸」の運行開始、と日本郵船はエネルギー輸送事業へ本格的に乗り出していく。

多角化の次のステップは、多彩な専用船の建造である。世界初のチップ専用船「呉丸」、日本初のパルプ専用船「シトカ丸」、重量物運搬船「若狭丸」、鉱石専用船「戸畑丸」など、特定貨物向けの船舶が次々と竣工した。自動車輸出が増加するのに伴い、自動車兼ばら積船「第五とよた丸」、自動車専用船「神通丸」も就航。さらに超大型のプラント輸送モジュール船「すにもすえーす」というように、産業界のニーズに合わせて専用船を積極的に建造した。

組織面では三菱海運と1964(昭和39)年に合併し、世界有数の海運会社となった。東京船舶、太平洋海運、太平洋汽船、共栄タンカー、大洋商船など、人的・資本的関係の深かった海運数社をメンバーとして今日の日本郵船グループの基礎を作ったのもこの頃である。その後もグループは多くの企業を加えて成長を続けており、多様な事業を支える力となっている。

Episode3 英国の小さな港町と親善の桜

創業100周年を迎えた日本郵船ロンドン支店に1通の手紙が届いた。ミドルスブラという英国中部東岸の小さな港町から「1932年、当地に寄港した鹿島丸のキャプテン・ワタナベが公園に桜を贈ってくれた。けれども、桜は年老いてしまった。創業100周年を記念して桜を再び贈ってはくれないか」という内容だった。当時、日本郵船は寄港地をリバプールに変更し、渡辺船長が世話になった町に感謝の意をこめて贈った桜だった。手紙の届いた1985年4月19日、日本郵船の関係者、渡辺船長の子息が参加して植樹が行われた。半世紀を超えた友情がよみがえった。

関連リンク:沿革